「古池や 蛙飛び込む 水のおと」は、松尾芭蕉の俳句です。
この句の解釈についてより詳しく調べていきます!
こちらは前回この句について触れた切れ字についての記事です👇
句の意味と解釈
古池や →古びた静かな池
蛙飛び込む →蛙が飛び込み
水のおと →そのときの水音が響いている
って感じですかね。
全体の意味として、わかりやすく小学生向けの現代語訳を助っ人(ChatGPT)に頼んでみました😆
「古い池にカエルがポチャンと飛び込んで、水の音が聞こえた」
…らしいです。
ま、そのままですよね。
教科書に載ってて子供の頃からずっと深く考えずにきましたが、衝撃の事実が判明します。
それがこちらの動画👇
カエルは飛び込んだのか論争、カエルは1匹か複数か論争があるとは!😮
私は、夏井先生と同じように、
「人気のない古びた池に1匹のカエルが飛び込んだ音だけが響いている」
…みたいな感じだと思っていました…。
この句は何色?
私の場合は、色で表現するとしたら、もう水墨画くらいのイメージでしたね😅
でも、
季語が蛙で、季節が春
…と考えると、周りが春らしい明るくのどかな景色かもしれないんですよね。
今までの俳句のイメージと完全に真逆なんですけど…💧
想像してみます…。ぽわわわ~ん(想像する時の音)😌💭
池の周りには緑があふれてて、小さい花が咲いて、なんなら桜もあったりして…。
うぐいすだって鳴いてるかも…。
カエルもゲコゲコ鳴いてピョンピョン飛んでるかも…。
池にカエルがポチャン…ポチャン…って何匹か飛び込んでるのかも…。
この記事のトップの画像みたいな感じ?(さすがに言いすぎ?💧)
”古池や”に引っ張られ過ぎて今まで季語のこと全く考えてなかったです💦
でも、上五の「や」の詠嘆で、より印象を強くしてるじゃないですか?
「や」の詠嘆の役割って、「!」(ビックリマーク)を付けたり、注目させたり、映像にするとアップにするような役割がありますよね?
じゃあ句全体が古池のイメージになってもしょうがなくないですか!?(キレ気味)
・・・。
そもそも松尾芭蕉は、この古池をどう思っていたんでしょうか?
勝手に、旅の途中の山奥で見つけた寂れた池っぽいのを想像してましたが、調べてみると自分の家の近くの池の可能性があるんですよ~。
実はこの池がお気に入りだったとか?
元からこの池が大好きで、もっとゆる~い感じだったりして。
桜の花びらがひらひらと散る中、
「この古池いいよね~。あ、蛙たちが飛び込む音が聞こえるよ~😌」
みたいな?
だったら春らしい景色でカエルが複数いても合うかもしれない…なんて思います。
まとめ
松尾芭蕉のこの句の考察として、
古池の静寂と1匹の蛙の動作が対比として描かれていると分析されているものもあります。
禅の精神や日本文化の「侘び寂び」を体現している…と。
しかし、全く逆の、
春らしさや複数のカエルの賑やかさを表現している句であるという説
それどころか、
そもそも、蛙は飛び込んでいない、飛び込む音が聞こえるほど静かだという説
などもあり、俳句超初心者の私に真実がわかるはずもなく😆(開き直り)
こんなに有名な句でも、意見が分かれているということは、他にも間違った解釈のまま伝わっている句って意外と多いんじゃないかなと思ってます。
この句は俳句の中で最も有名であり、俳句の代名詞だと言ってもいい句ですね。
様々な説がありますが、この句は自然の中にある小さな変化に気づくこと、それを味わう心を教えてくれます。
日々の中で自然と向き合う時間を大切にしたいですね🍀
![](https://p-battle.karaage23.com/wp-content/uploads/2024/06/matsuo_basyo-242x300.png)
動画内で紹介されていた長谷川櫂さんの本。
蛙は一匹ではないのか、飛び込んですらいないのか。